大学全体 [編集]
「立命館」の由来は、孟子「盡心章(じんしんしょう)」にある「殀寿貳(ようじゅたが)わず、身を修めて以て之を俟(ま)つは、命を立つる所以(ゆえん)なり」(人間の寿命は天命によって決められており、修養に努めてその天命を待つのが人間の本分である)から採られた。
建学の精神 [編集]
学風および特色 [編集]
第二次世界大戦前から戦中に掛けて、立命館大学は世相を反映して国家主義的傾向が強まっていった[1]。しかし、一方で滝川事件(立命館大学では「京大事件」と呼称)の際には同事件に連座して京都帝国大学を退官した教員を受け入れていた。終戦直後、同事件に連座し、京都大学から大阪商科大学へ移っていた末川博を学長へ招聘した。その末川を中心に大学の改革へ乗り出す。憲法と教育基本法を尊重して「平和と民主主義」を守ろうという末川の思想が中心となって、立命館大学は「民主的な学園運営」「自主的学習の尊重」の2本柱によって構成され、以下に記載する取り組みが現在の立命館大学に至るまで実施され続けている。末川が立命館大学に与えた影響は極めて大きく[2]、これらの功績を讃えて、同大学では末川を名誉総長として顕彰している。また、末川が構成した思想を「立命館民主主義[3][4]」と呼んでいる。
- 理事者・評議員・専任教職員・学生・生徒からなる全学代表による総長公選制(間接選挙)の導入(1949年開始)。
- 理事会・教授会・学友会・教職員組合などの全ての学園組織と学生の代表を加えた全学協議会制度を創設し、学園運営の重要事項の合意を形成する(1948年創設)。
- 「社会に開かれた大学」を目指した市民を対象とした立命館土曜講座などの公開講座の開催(1946年開始)。
- 学部長の法人理事職の兼任。
- 一般入試による入学者が47%であり、ほかは指定校推薦・AO入試などの推薦の特入生が多い[5]。関連項目:偏差値操作も参照のこと。